先日社会人になって最初の上司だった方の退職祝いの集まりがあり、品川に行ってきました。
20年ぶり以上で再会する方々も多く、とても懐かしく素敵な時間でした。
大学を卒業して就職したのがSONYでした。
大学時代に演劇の舞台監督をやっていて、芝居の世界を形にする空間づくりにはまっていました。
就職先を探すにあたり、ものづくりが楽しくできそうな会社ということと、海外で仕事ができたらいいなと思い、SONYに入らせてもらいました。
当時のSONYは今より全然勢いがあり、尖ったかんじでした。
そして、入社式の時に、盛田昭夫会長から「自分がSONYにどれだけ貢献できるか?貢献できないようなら、お互いのために早くやめたほうがいい」とNOと言える日本人として海外で活躍した盛田さんらしい強烈なメッセージの洗礼を受けました。
森田さんは今でも尊敬する、私にとってのヒーローです。
とてもあのようには生きられませんが、誕生日が同じ日だというのがひそかな喜びです。
さて、入社式の最後に配属先の発表がありました。
何と私の配属先は、海外営業部門。
びっくりしましたね。
海外営業部門に配属された同期は、帰国子女だったり、外語大を出たりの人が多く、英語も話せない自分がなんでだろう?と戸惑ったのを覚えています。
海外営業部門の中でも自分の配属先はアジア課。
大学時代インドを放浪していた話を就職の面接の時に言ったので、その辺を評価してもらったのかもしれません。
当時のアジア課は凄かった。
いけいけ、どんどんでアジアでの販売網を作ろうと、物凄い勢いがありました。
各国に駐在している駐在員は皆戦国武将のように、物凄くキャラが立って、存在感のある人達。
日本から海外に出張に行くのは金曜日に行って、日曜日の夜行便で帰って来て、月曜日の朝に会議というとんでもないスケジュール。
果たして、そんな凄い人達の中で、自分はやっていけるだろうか?
随分と不安に思っていた時期がありました。
そんな中、当時の上司のYさんが掛けてくれた言葉で救われた記憶があります。
FAX1つを海外に送るのもおぼつかなかった私に、
「いいか寺崎、FAXは上手く送れるようにと念じて、じいっと見てると不思議とうまく送れるんだよ、がははは~」的な内容です。
何か不思議と気が楽になって、徐々に仕事に慣れることができました。
Yさんには私がマレーシアに駐在時代にも助けられました。
当時私が担当していたカーオーディオがマレーシア国産の自動車メーカーにカーオーディオを納入するという快挙に喜んでました。
暫くして競合他社の工作によって間違った生産情報が流されて、少ない生産量になってました。
そしてある日突然、数が足りない。車の生産ラインが止まってしまう、どうするんだ、何とかしろという絶体絶命の事態。
私は、何とかしなきゃと、無謀にもトレーラーでカーオーディオの工場に乗り付けて、作ってくれるまでは帰らないと、
座り込み。よくそんなことをしたもんだと思います。
その時にYさんが日本での担当課長でした。
そして工場にいる私に「寺崎がそっちで体をはっているのだから、俺も日本で一緒に戦うから。大丈夫、一人じゃないぞ」的な言葉で励ましてもらいました。
そして、何と工場を動かして、生産を間に合わせてもらえました。
それ以外にも、折々でYさんには助けてもらった思い出がいくつもあります。先日お会いして鮮明に蘇ってきました。
とても人として魅力のある方でした。
SONYを定年退職され、すぐにスカウトされて、ベンチャー企業のイギリス駐在員として旅立たれるそう。
次の目標に向かって生き生きとされている姿に、元気をもらいました。
他にも何人も、多くの素敵なそして魅力的な方々と再開できました。
つくづく思いますが、SONYは(あの頃のということになってしまうのかもしれません)、いい会社でした。
自由闊達な社風。
どんな上の人でも、さんづけ、で話していい。
上司に対しても、間違っていると思えば意見を言っていい。
出る杭を育て、
人がいきいきと力を発揮できる風土があったと思います。
あの当時に経験させてもらったことが私のとても大切な財産となっています。
学生時代の演劇空間作り。
SONYでプロダクト作り。そしてマーケテイングでの広告作り。
そして、今の家づくり。
ものづくりの現場に立ち続けられる喜びと感謝を実感しています。
Yさんのように60過ぎてもバリバリ現役で現場に立ち続けていきたいです。
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